木のこころ 仏のこころ

松久朋琳、西岡常一と青山茂氏の対談、『木のこころ 仏のこころ』春秋社(昭和61年発行)を読む。


木の命からできたものには、木の魂がやっどっていると感じた。

木管楽器や弦楽器もしかり。

特に弦楽器はガット弦や弓の毛は動物の腸や尻尾の毛から作られており、より、一層、命あるものである。


音楽は物ではない。

命に作用する自然からのメッセージである。

と、思った。


川底にさざなみつくる槍鉋   播磨公


木のこころ無欲無心に歌う声  播磨公


木をテーマに、二人の木の名人である、仏師、松久氏と棟梁、西岡氏が語る職人気質の言葉。
記憶にとどめたい言葉を次にメモした。


西岡氏(明治41年生)
「昭和9年から29年まで20年間の法隆寺の大修理、自分に自信がついた。」
「後継者になるには50年かかる。弟子は1人。みんな逃げていってしまう。」
「法隆寺には各時代の建築がある。天平から藤原、鎌倉、室町、江戸。それらを修理させてもらった。」
「弟子は魂を受け継ぐ」
「薬師寺でも仕上げは槍鉋を使う。小さいさざなみがうったようで、ふわっとした感じになる。」
「木の性分にもたれていく。技術ではなしに技法」
「どんないい瓦でも、雨が降ると水を含む。ピシッとしてあるということは、その水が乾かないことになる」
「労働ではなく事に使える。」
「自然のものは有難いと思う。」
「木を買わずに山を買え。尾州の檜。山を買うということは、山の土質を知るということ」
「日本に住む者は、日本にできるものを食べる。それが丈夫であるための条件」
「木がわかるためには、土をまず知らなくてはいかん。」
「飛鳥建築。建築でも古代ほど構造主義ですわ。飾りはありません。日光になると工芸品化している。」
「法隆寺の大工は、木は育ったままのとおりに使え、ということを言われている。」
「仏像も建築も、結局は祈りの魂」
「人間というものは自然の中に生かされている。ということを悟らないといかんと思います。自然があって、人間社会があるんやから。」
「大陸や西域の形がだんだん消化されて、奈良時代に日本化されたんですからね。そして藤原になって、ほんとの日本化された方にになって」
「節がないとあきませんねん。節がないやつは、みんな風化してしもうて細くなってます。」


松久氏
「息子と二人なんぼ働いても食べるのがやっとのことだった。」
「美というのは調和のうえに成り立つ。自己主張。調和なんてちっとも考えんと。」
「屋根のそりをたるみという。糸を垂らしたら自然の摂理で糸はぐっとたるむ、自然の摂理に基づいてたてた建物というのは、周囲の環境になんの抵抗も感じない。」
「これで一番設けてやろうとか、博覧会に出して一等取ろうとか、そんなことを意識して彫ったら全然あきまへん。」
「飲み屋で一杯飲んでいるとき、べっぴんが酌をしてくれても、このべっぴんには男がおるのかとか、そんなことを私は考えません。見たままでよろしい。見たままの顔を見て、聞いたままの言葉を聞いて、一杯飲む。よけいなせんさくはしません。これでおいしいんですわ。」
「山には神霊は宿っているに違いありません。」
「水煙。祈りの心」
「ぼうっとした、つかまえどころのないような、これが出ませんな。百済の感覚ですね。浮世離れしとる。仏というものは、そういうものでしょう。あの人らは仏を見てたんですかね、作者は。」
「台座の下にある四神。四禽に守られている所。」


青山
「『続日本紀』という歴史書では、平城京を決めるについての元明天皇の詔に、この土地は「四禽図に叶い、三山鎮をなす」と書かれていますね。要するに、ここは非常にいい土地なんだ」
「東山、西山、北山」





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